堺町とその周辺 ~姫路城下町
小倉屋の所在地は、姫路市堺町30番地。
堺町は、姫路城下町のうちの町人町で、多数の商家が軒を連ねた地域です。堺町という町名は、江戸時代の初め寛永元年(1624)に城下町の西に材木町が作られた時から始まったとされており、それ以前、少なくとも羽柴秀吉が姫山に城を築いた天正の頃には、この堺町と、その北に連なる竹田町、生野町を合わせて材木町と呼ばれていたそうです。
堺町を南北に貫く道は、姫路城下と生野・但馬を結ぶ街道で、但馬道と呼ばれていました。このうち城下の野里地区にあたる部分は、野里街道とも呼ばれます。姫路城天守の北東に位置する野里街道周辺には、現在も歴史的な民家が多数建ち並んでおり、世界遺産姫路城のバッファゾーンとされています。城下町の特徴である「あてまげ」と言われる非直線型の交差点や、のこぎり型の地割なども見られる地域です。
堺町の南側に隣接する町は、かつて久長町と呼ばれていました。久長町の名は、姫路城中堀を挟んで残る久長門跡に残されています。堺町の東側の通りには、多数の寺院が甍を並べています。姫路城下町の整備にあたって、上方方面に対する守りを固める目的で、姫路城外堀の入口となる外京口門から城内に入ったあたりに各地から寺院が集められ、寺町が形成されたことに由来するものです。
姫路の城下町は、その南半分にあたる姫路駅前の地域は戦災でほとんどの建物を焼失しましたが、野里を含む広大な城下町全体を見渡せば、当時の痕跡を今でも至る所で見ることができます。じっくりと時間をかけて、積み重ねられてきた歴史を想像しながら歩く価値のある、面白い地域です。
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